「瞑想」・・・オクトーの今月のコラム
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オクトーで受講出来るオーラソーマのコースについて
Vol.19[瞑想]
 今月から、しばらくメディテーションデイをお休みすることにしました。毎月楽しみに来てくださる皆様、しばらくの間お休みしますが、どうかご自分で瞑想を続けてくださいね。今月のコラムは瞑想について感じることを書いてみます。
あなたは、瞑想をしたことがありますか?
瞑想とはどんなこと、どんな状態をいうのでしょうか。
オーラソーマでは、瞑想をとても大切にしています。コースのときには全世界、どのコースに出席しても必ず瞑想があります。オーラソーマの創始者ヴィッキー・ウォールは瞑想の中でボトルの誕生の啓示を受け取り、この世に生み出しました。

 けれども、瞑想とは何かを得るためにするものではありません。ただこの瞬間にあること、あるがままを見つめていくことだと私は思っています。光やヴィジョンを見るためや神秘体験をするためのものでもありません。自分を振り返って反省する時間でもありません。自分自身の思考を見つめ、感情を見つめ、ただそれを判断せずに通りすぎていくこと。思考を手放していくこと。平和の中に身をゆだねて空の状態に漂うこと。そして自分が何者であるかを知ること。それが瞑想だと感じています。そのとき、身体はとてもリラックスしていますが、意識はとても明晰な状態にあります。そして感覚や感性が研ぎ澄まされていきます。意識、無意識を明晰に見ていくこと、それが瞑想といえるのかもしれません。そして、心はとても穏やかに静まっていきます。

 J・クリシュナムルティという人をご存知でしょうか。彼は数多くの講話や著書を通じて「人間を絶対的に無条件に自由にすること」に生涯を捧げた人です。今月は彼の『瞑想』という本の中からあなたに、ある一文をご紹介します。瞑想についてのヒントがあるかもしれません。

瞑想は きびしい作業です
それには
もっとも高度な規律がもとめられます
ただしそれは
順応することでも
模倣することでも
服従することでもありません
その規律は
たえまない気づきをとおしてうまれてくるものです
自分の外側でおこっていることだけでなく
内側でおこっていることにも
たえまなく気づいているということです
だから瞑想は
世間から隔絶していく行為ではなく
日常の生活のなかでおこる活動です
日常の生活のなかでは
協調性と感受性と知性が必要とされます
ただしい生活をしっかり築いていないと
瞑想は ひとつの逃げ道になり
まったく価値のないものになってしまいます
ただしい生活とは社会の道徳にしたがうことではありません
ねたみや 貪欲さや 権力の渇望などから
自由になることです
それらはすべて憎しみをうみだします
しかし 意思のはたらきによって
それらから自由になれるのではありません
自分を知ることをとおして
それらに気づくことによって自由になれるのです
自分がなにをしているのか 気づくことがなければ
瞑想は 感覚の昂揚をもたらすだけの
ほとんど意味のないものになってしまいます
(「瞑想」J・クリシュナムルティ著 星雲社 より 抜粋させていただきました)

  オーラソーマは意識に気づきをもたらすツールです。そして瞑想はその助けとなります。オーラソーマが瞑想を助けるということもできるかもしれません。思考を手放し、明晰に自分自身をみていく瞑想やオーラソーマがもたらすその先にあるものは、自分自身の魂の輝きと愛を見出すことの至福であるように思います。

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