:::花の咲く頃に:::4月のエッセイ
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ロハス・コラムタイトル・Vol.15
   「願はくは花の下にて春死なむこの如月の望月のころ」 西行

  これは、私が高校生の頃に出会った句です。美しい光景が脳裏に浮かび、満月の夜、散る間際の満開の桜の花の下に体を横たえている神秘的ではかない情景に胸を衝かれました。死の美学として語られる有名な句です。
 桜の咲く頃になると、私はこの句を思い出します。でも10代の頃のように、はかなさやせつなさを今は感じません。むしろこの句の背後にある、人生を生き抜くダイナミックさを感じるのです。人生を半ばまできたところで、いろいろな経験を振り返り、生とは何かをあらためて考える今日この頃です。

 この句に出てくる「花」とは桜のこと。私たち日本人にとって花といえば桜。桜といえばソメイヨシノです。ソメイヨシノの花は一斉に花を咲かせ、ピンクの雲を作るように群がって咲きます。一年のうちのたった数週間、木は薄いピンクの色に染まり、あっという間に花びらを散らせて歩道や水面を染め、そして後に若葉が芽吹いてきます。

 桜にとっての死は、花が散ったとき。私も私という生の美しい花を満開に咲かせ、「望月」という言葉に言い表されている満月のように満ち足りた人生を送り、生を卒業して自然へと還って行きたいと願っています。花の下で死に行くとき、西行はきっと生のはかなさではなく、生の充足感を味わいたかったに違いないと思うのです。「生きてきてよかった」と。
 桜は桜であること以外のなにものでもありません。桜は日々を淡々と生きています。そしてある日、時満ちて花を咲かせ、わたしたちに「どうぞ」とその美しさと愛を捧げて散りゆくのだと感じます。

 私は桜の散る頃にこの世に生を受けました。そして、私の誕生日にわたしの父はこの世を去っていきました。春はわたしにとって嬉しく胸躍る季節でもあり、そして父が去ってからは、少しせつない季節でもあります。父が去った日、実家の庭には満開の藤がたわわに咲いていました。 私が父に持つイメージはバイオレット。藤の花のバイオレットのように気高いひとでした。
 私たちのそれぞれの花の色は何色でしょうか。 そして、どんな花を咲かせるのでしょうか。春、花の下でその愛を受け取りながら、そんなことに思いをはせてみるのもいいかもしれませんね。

 オーラソーマの創始者ヴィッキー・ウォールは「花はその愛を捧げるために存在する」と言っています。花は愛や生命の美しさを私たちに教えてくれているのです。オーラソーマの製品には植物界、鉱物界、色の世界の3つの世界が一体となって生きたエネルギーとして存在しています。イクイリブリアムやその他の製品をとおして自然の中からエネルギーをもらい、この地球という惑星に生まれて生きていくことを選んだ、かけがえのないあなたが、愛とともに生きていくことを可能にしてくれるのかもしれません。
桜イメージ
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